初の哲学!

こんにちは!この前梅雨に入ったかと思ったら、最近めちゃめちゃ晴れてるから梅雨明けしたのかな、?

暑い夏がもうそろそろやってくるのかなー。暑くなると酸っぱい食べ物を異常に食べたくなります。ところてん食べたい。

 

さ、2週にわたって哲学対話をしてきました!須長先生が講義をしてくださり、対話の難しさ・おもしろさを学んだので書いていこうと思います🖋

事前課題として、マーク・トウェインの『人間とは何か』を読んだ上で感じたこと、考えたことを準備し臨みました。

 私は老人と青年の対話を読んで、利己主義ってけっこう現実的で、自分自身を思い返してみると当てはまるところ(やらなかったという後悔をしないために人助けをする。とか)があるなという感想を持ちました。また、その後ろめたさを感じないために行動している、ということに気づくと虚しさというか寂しさを感じました。

 

悶々と考えつつ臨んだ対話。

対話する前に、そもそも対話とはどういうものなのか、対話中に注意することなど教えていただきました。

-問い立てることと答えを出すことを繰り返す。答えは’早い思考’ではなく’遅い思考’を意識して考える。-などなど。

遅い思考をすることに関して、私は知らず知らずのうちに早い思考をしてしまっていること、考えをすぐにやめてしまっていることに気づかされました。。

いざ対話をしてみて、自分の考えを相手に伝わるように丁寧に話すことが難しい!と感じ、また相手の言葉を自分の中で嚙み砕いて理解することも難しいなと。自分がいかに力不足かを痛感しました。

 グループでは利己主義が正しいか正しくないかの結論の前に、そもそも利己主義って良いのか悪いのかという話をしました。道徳などの教育を受けてきたので利己主義に対して消極的なイメージをグループ全員が持っており、けれども自分のためを思って行動することは当然あることだし、結果相手のためになれば良い、という結論に至りました。1つ条件付きで、自分のためだということを相手に伝えるのは悪い、というところで対話が終了しました。

 全体共有では利己主義に共感する声が多く、利己主義は正しいかもしれないけれど正しいとは断言したくない、と言っていたグループもあってそれすごくわかる、!!となったり、利己主義だと認識したから利他主義が生まれたというグループもいて、考え方おもしろいなと思ったり。全体で共有している時に、着眼点や考えが少しずつ違うから対話が進んでいくのかなーとも思いました。

 

哲学対話2週目。

振り返ってみて、老人をやっつける気持ちで問いを立てることができなかった、という反省が一番に出てきました。私の思いはいったん置いといて、利己主義は周りの環境や状況によっては正しいのでは?という問いのもと、道徳倫理がどうやって生まれてどのように活きているのか、話を進めました。意見をまとめるとこんな感じ→利己主義と道徳倫理ってつながってなくて、社会の中で生きるために自然と道徳倫理が生まれた。社会をつくっている自分と’他者’がいることで道徳倫理が存在する。言語化がうまくできなくてもどかしい。。。けど、’自分と他者がいる’ということが私たちのグループで目をつけたところです。

もう1点。先週は結果論で利己主義を正当化したけれど、結果が伴わないときはどうなるのかについて話しました。古川さんが出してくれた例が「料理を作って失敗したら...」で、作ってもらった側は作ろうとしてくれた気持ちが嬉しい、作った側はたとえ失敗したとしても行動を起こしたことには納得しているだろうと。結果がついてこなくても正当化できるね、という話になりました。(今これを書いていて作ってもらった側が完全なる利己主義だとすると成立しなくなる?、なんて思いました。与えられたものには感謝の気持ちをもつという教育をされてきたから、それがない状態を話せなかった。)この話題は他者が行為者の過程を重視してくれれば、という条件つきで結論をだしました。

個人的に対話の前に考えてたこの場合って?を時間的に言えなくて終わったのを、ここに書こうと思います。社会学の講義かな、特に日本人は互酬性が高いっていうのを聞いたことがあって、例えばお中元やお歳暮などの贈り物はお返しするという義務的な行動をするけれど、その心の奥底には利己主義があるのかなどうなのかな、ということです。他のグループが、老人はそもそも利己主義ではないと言ってたのと似てるけれど、そもそも振り切るのって難しいんじゃないかなって思います。それは社会の集団で生きる以上、そしてその教育をされてきた以上、振り切った両方の場合の人の心情を分かっているからな、と。

 

哲学に触れたのが初めてだったけれど、問いを自分たちで立てて一見答えがないようなことに答えを出そうとすることが難しいながらも楽しかった、という感想を持ちました。楽しかったのも、対話は自分のことを否定されることもなく、じっくりと話を聞いてくれる気持ちよさを感じたからだと思います。自分の課題として、思考に対する体力がないことも同時に分かったけれど。問いを立てることで自分の持っている価値観や知識にゆさぶりをかける、これを続けたいです。答えがないことに対してああでもないこうでもないと考えるのが元々好きだし、たまに友達とも話すこともあってまた哲学やりたいなと思いました。今回のリベンジもかねて。

 

また。